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東京高等裁判所 昭和27年(う)3993号 判決 1953年7月27日

控訴人 被告人 横井稔 弁護人 大蔵敏彦

原審検察官 山本稜威雄

検察官 司波実

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

但し此の裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予する。

原審において生じた訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、末尾添附の検事山本稜威雄及び弁護人大蔵敏彦各作成名義の控訴趣意書と題する書面記載のとおりであつて、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。

検事控訴趣意第一、について。

仍つて按ずるに、国税犯則取締法第二二条第一項に所謂煽動とは、同条項に掲ぐる行為の孰れかを実行させる目的を以つて、文書若くは図画又は言動により、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることを謂うものと解するを相当とする。而してこの煽動罪たるや所謂形式犯に属するものであつて、右に所謂煽動行為のありたることによつて直ちに成立し、必ずしも相手方において、その結果を惹起したことを要しないのは勿論、煽動となる意思表示は、社会通念に照らし、相手方に対して認識又は了解され得る程度及び方法において為されるを以つて足り、相手方において現実に認識又は了解することを必要としないものと解すべきである。されば、その意思表示が文書によつて為される場合においては、その文書を他人によつて閲覧され得るような状態におくにおいては、右煽動罪は成立するものと解しなければならない。

今本件について観るに、原判決は煽動文書を以つてする煽動にあつては、当該煽動文書を相手方の閲覧可能状態におくこと又は相手方の感覚的認識に達せしめることは、未だ実行の着手たるに止り、未遂罪を罰しない煽動罪においては、犯罪とならず、その文書を相手方が認識理解して始めて煽動罪の既遂となる旨説示し、本件公訴事実中第一、第二、については、原判示第一、第二の如く摘示して有罪の認定をし乍ら、公訴事実第三、の事実即ち「被告人が昭和二七年二月二二日午前一〇時四〇分頃沼津市町方町浮世小路喫茶店パロマにおいて判示第一、に掲げたと同様のビラ五枚を同店内に出入する不特定多数の国税納付義務者に閲覧させる目的で、同店内のテーブルの上に頒布して国税の納付を為さないことを煽動した」との訴因については、被告人が右の日時判示第一、と同様のビラ五枚を右喫茶店内のテーブルの下に置いて来た事実は、証人田中勢津代の証言により認められるけれども、右のビラの内容を国税の納付義務者に閲読理解せしめたという証明がないとして無罪の言渡をする旨説示していること原判文上洵に明らかである。

然し乍ら、右は前掲国税犯則取締法第二二条第一項に所謂煽動罪の意義の解釈を誤りたるに基く違法あるものであつて、該違法は判決に影響を及ぼすこと洵に明らかであるから、此の点の論旨はその理由あるものと謂うべく、原判決は到底破棄を免れない。

仍つて他の論旨及び弁護人の控訴趣意についての判断を省略し刑事訴訟法第三九七条第三八〇条第四〇〇条但し書に則り、原判決を破棄し、当裁判所において直ちに判決することとする。すなわち当裁判所は、原審公判調書中の被告人の供述記載及び原審における証人根本行雄同田中勢津代同八田静枝同大野晴久に対する各尋問調書における各供述記載及び押収にかかるビラを綜合して次の事実を認定する。

被告人は日本共産党員で沼津市委員会において実際運動に従事していた者であるが、

第一、昭和二七年二月二一日午後七時頃沼津市魚町一三二番地新聞販売店八田博方において、その妻八田静枝に対して、同人の取扱いに係る同月二二日付朝刊「朝日」及び「読売」の両新聞に、

「平和のために再軍備の徴税に反対しよう」という標題の下に、その冒頭に昭和二十七年度の所得税の内示額が税務署から発表されたがその課税率が前年度に比して著しく高いことを述べ、次いで昭和二十七年度の国家予算を批判してその大部分がいわゆる再軍備のための予算であると述べた末尾の項に「重税に苦しむ業者の皆さん、私達の生活は今破滅の所まで来ている。税金なんか一文も払えない所に来ている。三重県の一部落では竹槍の先に令書をつけて全員で税務署に押しかけて闘つた。神奈川県の一漁師町では差押えに来た税務署員をトラツクから引きずり下し差押えを出来ない様にしている。沼津でも市民税なんか一文も払わないときめた町がある。十二月にはドブロク問題で朝鮮人が署に押しかけ物品をとりかえしている。皆さん、吉田の手先税務署に隣近所の人々と手を組んで団結して闘おう。国民生活の改善、戦争のための重税は一文も払うな。一人一人では駄目だ、組合員全員で闘え、差押えは実力で紛砕しろ・強制徴収は絶対反対・」と記載し最後に日本共産党沼津委員会と印刷した半紙半折大の赤色のビラ一五〇〇枚を国税の納付をさせない目的をもつて折込み配達方を依頼し、その翌二二日朝同店の販売区域である同市内真砂町、下河原、浅間町及び新町附近の購読者に配布せしめて頒布し、

第二、翌同月二二日午前一〇時頃沼津市大手町一五九番地種苗販売業根本行雄方において、前同様のビラ八枚を、前同様の目的をもつて同人並に同店に出入する不特定多数人に頒布し、

第三、同日午前一一時四〇分頃同市町方町浮世小路喫茶店パロマ方において、同店内に前同様のビラ五枚位を前同様の目的をもつて同店に出入する不特定多数人に頒布し、

以つて国税の納付を為さないことを各煽動したものである。

法律に照らすと、被告人の判示各所為は、国税犯則取締法第二二条第一項に該当するところ、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、所定刑中夫れ夫れ懲役刑を選択し同法第四七条第一〇条によりその犯情最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役六月に処し、諸般の情状に鑑み同法第二五条を適用して、此の裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)

検事の控訴趣意

第一、原判決は法令の解釈適用を誤り右は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

原判決は判示第一、第二、の事実につき有罪を認め乍ら訴因第三、の昭和二十七年二月二十二日午前十時四十分頃沼津市町方町浮世小路喫茶店パロマに於て、判示第一、の事実に掲げると同じ内容の「平和の為に再軍備の徴税に反対しよう」と題するビラ五枚を同店に出入する不特定多数の国税納付義務者に閲覧させる目的で同店内のテーブル上に頒布し以て国税納付義務者多数に対し国税の納付を為さないことを煽動したとの事実について証明不充分として無罪を言渡した。之は国税犯則取締法第二十二条所定の煽動の解釈適用を誤りその誤が無罪判決となつたことは明かである。即ち右無罪の理由として判決書は文書による煽動行為の既遂時期につき、相手方がその煽動文書を閲読の上その内容を理解したことを要するとし、従て訴因第三、については被告人がその日時場所に該ビラ五枚を置いて来た事実は認められるが右ビラの内容を不特定多数の者に閲読理解せしめた証明がないとしている。

然し乍ら煽動の定義として「不特定又は多数の者に対し中正の判断を失して実行の決意を創造せしめ又は既存の決意を助長せしむべき力を有する刺戟を与える意思表示」とするのが判例通説である。即ち本件に於て前記パロマ喫茶店に出入する国税納付義務者たる不特定多数人に対し中正の判断を失して国税の納付を為さざる決意を創造せしめるか又は不納付の決意を助長せしむべき力を有する刺戟を与える意思表示が相手方に到達(了解し得べき状態に達するとき)すれば直ちに煽動の既遂であると看るべきである。

一、即ち相手方の内容理解と言うが如きは煽動罪の成立に対し何等の消長を及ぼすところではない。原判決に所謂「相手方に認識理解されて始めて現実に危険を生じ煽動は既遂になる」との見解は独立犯たる煽動をもつてあたかも教唆犯の従属性の如き概念を以て律せんとするものである。この点につき教唆が特定人を対象とし而もその相手方に決意を生ぜしめ実行に出でしめることを要するに対し、煽動は元来不特定多数人を対象とし従て相手方の心理に対する影響の如きを敢て問ふものでないことを特に強調しなければならない。又不納付の決意を創造或は助長せしむる力ある刺戟の有無も、相手方の理解を離れて本件の証拠として提出されたビラの記載内容自体により決すべきである。

二、煽動行為として処罰の対象となるのは意思表示である。本件の如き文書による場合は、意思表示の通性として相手方の了解し得べき状態に置くを以て足り必ずしも現実に相手方に了解されたことを要件とするものでないと解すべきで、之は意思表示の一般概念にも適合する。(同旨三宅正太郎岩波法律学辞典三巻一、八四三頁)

独立性ある煽動行為は行為者の意思及び挙動を離れ国税納付義務者たる不特定人の了解し得べき状態に達すれば既に危険性は客観的に発生してをりその後如何なる認識、理解決意、実行行為あるやは教唆犯を論ずる場合又は煽動行動者の情状には関係あるも煽動の既遂を左右するものとは考えられない。況して国税犯則取締法第二十二条の立法理由が反税運動行為の取締にあることを考えるならば裁判所の見解には到底賛し難い。即本件に於て、実力で国税徴収に反対しろと結語し、それを可能ならしめる手段方法も具体的事例を以て掲示し尚読んだらとなりの人へと附加したビラは前記喫茶店のテーブルに置かれた時に当該場所に出入する不特定の国税納付義務者に了解され得る状態に達し煽動行為は終了して既遂となる。

三、右の如く解するに非ざれば不合理である事は例へば街頭の電柱にビラを貼ることによる煽動を考えてみれば一見明瞭である。原判決の如く認識理解を要すとの見解を採れば果して如何にして立証が可能であろうか、ビラの貼られた時より捜査官を派して通行人の読むのを待期せしめ偶々読んだ通行人に出頭を求めて理解内容を聴取すべしとする外はない。若しその間読む者なければたとひ他の場所で認識理解した者多数あろうと立証不能にして起訴も出来ず右の如き期待をなさしめぬ限り行為者は刑事責任を問われぬ事となる。これ文書による意思表示たる以上相手方たる不特定人の了解し得る状態に置かれた時、即ビラの電柱に貼られた時危険性は客観化され行為は既遂となると解することの合理性、妥当性を肯認せしむる一事例と謂へよう。

四、右の如く本件は喫茶店のテーブルに該ビラ五枚が置かれた時既遂に達するものであり、検察官は終始之を主張立証したに拘らず原判決は煽動の既遂は相手方の認識より進んで理解を必要とするにその証明なく無罪であるとし、判決理由中検察官の審判不協力を説くは全く国税犯則取締法第二十二条の煽動につき独自の見解を固執して解釈を誤り無罪の判決をなしたことは明白である。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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